津軽三味線の歴史|仁太坊から現代まで、成り立ちを解説

津軽三味線の迫力ある演奏を聴くと、この音楽がどのように生まれたのか気になる人もいると思います。実は、今のように舞台で独奏される音楽になったのは、それほど昔のことではありません。

津軽三味線は、青森県津軽地方で、目の不自由な男性芸人「ボサマ」が家々を回って演奏した門付け(かどづけ)芸から生まれたとされています。明治時代に、五所川原市金木出身の仁太坊(にたぼう)が撥で糸を叩く奏法を取り入れ、今の津軽三味線の原型を築いたといわれます。「津軽三味線」という呼び名が広まったのは、昭和の民謡ブームのころです。このページでは、津軽三味線の成り立ちを時代ごとにまとめました。

津軽三味線の歴史年表

時代 主なできごと
16世紀ごろ 琉球(沖縄)から三線(さんしん)が伝わり、日本の三味線のもとになったとされる
江戸時代 三味線が各地に広まる。津軽地方ではボサマの門付け芸として三味線が弾かれた
1857年(安政4年) 仁太坊(本名:秋元仁太郎)が金木新田(現在の五所川原市金木町)に生まれる
1871年(明治4年) 目の不自由な人の芸能を取りまとめていた「当道座」が廃止され、誰でも芸能で身を立てられるようになる
明治時代 仁太坊が太棹の三味線を手にし、撥で糸を叩く奏法を取り入れたとされる
大正〜昭和初期 白川軍八郎などの名人が登場し、演奏の技術が磨かれる
昭和40年代 民謡ブームの中で「津軽三味線」という呼び名が定着したとされる
1970年代 高橋竹山が全国的に知られ、津軽三味線ブームのさきがけとなる
1980年代以降 合奏団形式のコンサートや全国規模の大会が開かれるようになる
現在 独奏楽器として、国内外の舞台やほかのジャンルとの共演でも演奏される

年代や出来事には、資料によって説明が異なるものもあります。

門付け芸としての始まり

津軽地方では、ボサマと呼ばれる目の不自由な男性芸人が、家々の門口で三味線を弾き、唄ってお金や食べ物をもらう「門付け」をして暮らしていました。当時の三味線は、今のような舞台の音楽ではなく、厳しい暮らしの中で生きるための芸でした。

江戸時代には、目の不自由な人の芸能は「当道座」という組織が取りまとめていて、そこに入れない人は自由に芸をすることが難しかったとされます。明治4年(1871年)に当道座が廃止されたことが、津軽三味線が生まれる一つのきっかけになりました。

仁太坊と「叩き」の奏法

津軽三味線の始祖とされるのが、仁太坊(本名:秋元仁太郎)です。1857年に金木新田(現在の五所川原市金木町)に生まれ、8歳のころに天然痘で視力を失ったと伝えられています。

仁太坊は門付けで三味線を弾く中で、太棹の三味線を使い、撥で糸を激しく叩く独自の奏法を取り入れたとされます。人より目立ち、多くの人に聴いてもらうために、大きな音と高い技術で聴かせる演奏が発達しました。これが、今の津軽三味線の「叩き」がメインの奏法の原型といわれています。

仁太坊のもとからは多くの弟子が育ち、その流れが津軽三味線として受け継がれていきました。

名人たちの時代

大正から昭和にかけて、津軽三味線の技術を大きく発展させた名人が登場します。

人物 主な特徴
白川軍八郎(1909〜1962年) 9歳で仁太坊に弟子入りしたとされる。「津軽三味線の神様」と呼ばれた
木田林松栄(1911〜1979年) 「叩きの林松栄」と呼ばれ、力強い叩きで人気を集めた
高橋竹山(1910〜1998年) 幼いころに視力をほぼ失い、門付けをしながら腕を磨いた。1970年代に全国的に知られる

このころは、津軽三味線は民謡の唄の伴奏として弾かれるのが中心でした。唄の前に弾く前奏(前弾き)の部分で奏者が腕を競い合い、この部分が後に独奏(曲弾き)として発展していきます。

「津軽三味線」という呼び名の定着

もともとこの三味線音楽は、「津軽もの」などと呼ばれていました。昭和40年代の民謡ブームの中で、民謡歌手の三橋美智也らが「津軽三味線」と呼ぶようになり、この名前が定着したとされています。

1970年代には、高橋竹山がドキュメンタリー番組をきっかけに全国的に知られるようになりました。東京・渋谷の小劇場で開いたライブは多くの若い世代の心をとらえ、津軽三味線ブームのさきがけになったといわれています。

独奏楽器としての発展と現在

1980年代になると、大勢で弾く合奏団形式のコンサートが開かれるようになり、全国規模の大会も始まりました。唄の伴奏だけでなく、三味線だけで聴かせる独奏楽器としての地位が固まっていきます。

近年は、吉田兄弟さんや上妻宏光さんなどの奏者が広く知られ、ロックやジャズなどほかのジャンルとの共演や、海外での公演も行われています。

津軽三味線の発祥の地とされる五所川原市金木には「津軽三味線会館」があり、津軽三味線誕生の経緯や、仁太坊・白川軍八郎などの略歴を紹介した展示を見ることができます。4月〜11月には生演奏も行われています。

経験者からのアドバイス
津軽三味線を習っていると、今弾いている曲や奏法が、門付けの時代から受け継がれてきたものだと感じる場面があります。編集部メンバーが津軽三味線を始めたきっかけも、生の演奏を聴いたことでした。歴史を知ってから名人の古い録音や今の奏者の演奏を聴き比べると、同じ曲でも時代や奏者による違いが分かり、演奏を聴くのがもっと楽しくなります。

まとめ:津軽三味線の歴史

知りたいこと ポイント
どこで生まれた? 青森県津軽地方。発祥の地とされるのは五所川原市金木
始まり ボサマと呼ばれる目の不自由な男性芸人の門付け芸
始祖 仁太坊(秋元仁太郎、1857年生まれ)。撥で糸を叩く奏法を取り入れたとされる
名人 白川軍八郎、木田林松栄、高橋竹山など
呼び名の定着 昭和40年代の民謡ブームのころ
現在 独奏楽器として国内外で演奏される

津軽三味線でよく弾かれる曲は津軽三味線の有名な曲、代表曲の由来は津軽じょんがら節とは?で紹介しています。楽器としての特徴は津軽三味線と三味線の違いをご覧ください。津軽三味線の全体像は津軽三味線の総合ガイドにまとめています。

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